年の暮れ、この歳になると年ごとに喪中はがきの数が多くなります。今年も、羅針盤のように頼りにしていた人たちが、何人も鬼籍に入ってしまいました。シンシン寒さは体にしみ込んできますが、心も、シンシン寂しいです。
そして、オリンピックを開催し、総選挙をやり、コロナ禍にあって施策とも言えないバラマキに走る、この国の一年もまた、寂しいものであったように思います。
二人のすぐれた先達の「遺言」を思い出します。
BS・NHKに「最後の講義」という番組があります。肺がんで余命3カ月と宣告されたと自己紹介して始まった映画監督・大林宣彦の「最後の講義」(2019/5/3)は、延々3時間半にわたるものでした。
自分は、1938年生まれだ。ずっと、戦争を意識し、戦争体験を意識して、生きてきた。ある朝、朝食にステーキが出た。普通なら、こんなものを自分の家で食えるはずがない。朝鮮戦争の特需のおかげだ。よその国が戦争をしているおかげで、日本は豊かになった。
思うに、日本は2つの原理で国を作ってきた。Scrap and Build と Atoms for Peaceだ。 みんな、アメリカのphilosophy、物と金で復興してきた。
その結果、日本人は、日本人の持つ美しさ「清貧」を失った。「清貧」とは、「清らかに生きようとすると、貧しいのが当然だ」ということ。自分が一番大切にしたいと思っている言葉だ。
そう語る大林さんは、「僕たちは戦前の人間です」と、この国の現在を指摘します。《今、自分たちは、「戦後」を生きていると思っているが、違う。「戦前」を生きているのだ》、そう、警告しているのですね。そして、番組の最後に、一番訴えたいことを書くという「遺言的」な色紙に、
「未来の君達へ 君たちは ぼくの未来です 未来の平和を 期待します」
と、記していました。
それから11カ月後の2020(令2)年4月10日、大林監督は亡くなりました。
そのちょうど10年前の2010(平22)年の4月9日、井上ひさしという小説家が、その最後の小説『一分ノ一』(2011刊行 )を未完のまま、亡くなっています。彼は、その中で、今の日本とは違う「新しいニッポン」のかたちを祈りのように語っています。これも井上ひさしの「最後の講義」であり、遺言です。
「その新しいニッポンでは、人びとは万事につけて控えめだ」
「質のいい食物を、ほどほどに食べる」
「オリンピックでもメダルはとれない。せいぜいとって銅二つ」
「ノーベル賞もとれない」
「そういう風に新ニッポン人は目立たない。だが、世界がなにかの危機に追い込まれると、全世界の注目が一斉に新ニッポンに集まる」
「東洋のあの島国の人びとは公正無私であるし、いつもなにか静かに考えている。あの静かな人々の知恵でこの危機を乗り越えようではないか。…世界中がそう思い、そう頼りにするような国」
二人の遺言は、しみじみと心中深くしみ込んできます。
「年たけてまた越ゆべしとおもひきや」、年を重ねることをありがたく思いながら、二人の先達の思いを心に深く刻んで、新しい年を迎えたいと思っています。
老いの繰り言 2021.12
コメント